羞恥心はどこへ消えた?
内部統制の仕組みを勉強中恥ずかしい感じる心は常に相対的なものであると思います。失敗して顔を赤らめるのは、失敗を笑う他人を無意識に意識してのこと。完全に孤立した環境下では羞恥心は感じ得ないのではないかと思います。
今の世の中全てが相対的で困っています。北海道の何とか高校が野球部の3年生が喫煙だか飲酒だかで補導され、個人レベルでは関係ないはずの1・2年生の甲子園出場を辞退しなくてはならなくなった。関係なくとも関係あるのです。関係なくとも一生懸命関係を探し出す、そして大騒ぎする野次馬たちがこの世の中には沢山います。
だからこそ、その相対性に嫌気を覚え積極的に相対的な世の中から隔離されたいと思う人種が行動した結果が、ジベタリアンであり、車内化粧であり、引きこもりであると思います。
私はシンガポールに住んでいた頃から日本には帰りたくないなーと思っておりました。今も決して中国が好きとは言えませんが、日本は嫌だなと思う気持ちは引き続き持っています。日本にもいいところも沢山あるのは知っています。でも、どうしても「ほっとけ!うるさい!」と感じてしまいます。
この本を読みながらそんなことを考えていました。



