動じる時には動じる。その他は平静を保つ
内部統制の仕組みを勉強中今日、1人の韓国人女性と知り合いになりました。他人のことをとやかく言えるほど私は立派な人間ではないのですが、彼女は「ため息」の回数がとても多いのです。私にはそれが気になって仕方がないのです。
「ため息」といっても色々ありますが、彼女の「ため息」は幻滅の「ため息」というより、お姉さん肌の「ため息」です。「もうしゃあないわね」の意味で多用しているようです。
でも、「ため息」というのは決して他人に喜ばれるものではありません。私にとっては雰囲気が暗くなるのでできれば止めて欲しいところです。ただ、こういった癖は生活習慣病のような性格があって、気が付いていてもなかなか止められないし、そもそもそれほど大きな問題だと思っていない場合が多いと思います。
私も3年前まで喫煙者でした。ニコチンの臭いを嫌う人が多いのは知識としては知っていましたが、ニコチン充満の他人の息を吸い込んでも不快感を感じることはほとんどありませんでした。ところが一度禁煙してみると、この刺激臭の公害度を初めて認識しました。
凶悪犯罪や不可解な事件が多発する刺激の多い今の世の中です。人は刺激に対して鈍感になること、不感症になることを是としてきたということはないでしょうか。最初の頃は大きく心動かされたことでも、経験を重ねるに連れて、何も感じなくなるということです。そればかりか、更に強い刺激を追い求めたりもします。
既存の刺激を所与のものとして次のレベルを追い求める人間の特性は成長の為にとても重要だと思います。それと同時に、ため息やニコチンが他人に不快感を与えている例の様に感じなくてはならないことまでも感じなくなってしまうのでは寂しい気がします。
「何事にも動じない」というのは大切なことです。だからといって「全ての事に動じる」では大変です。「動じる時には動じる。その他は平静を保つ」を目指したいと思います。



