こちらのブログのkuraさんより、島田紳助の暴行事件について私のコメントをとのご要望を頂いたので、僭越ながら私の考え方をご紹介させていただきます。
kuraさんは、この事件に対し「居住国の生活習慣・文化・価値観を尊重した生活を送るべき」とのご意見をお持ちであると理解させていただきました。
ごもっともと思う反面、必ずしもこの考え方は当てはまらないと感じることも多々あります。
世界には国際都市と言われる都市がいくつかあります。NYやロンドン・香港・シンガポール、最近は上海も。その他例を挙げればキリがありません。
これらの国は各々異なります。政治・経済・文化どれをとっても相当の違いがあります。それでも、この国際都市間での移動(居住地の変更)はそれほど苦痛ではありません。
外国人が多く居住し、多様性が古いものと共存しています。場合によっては多様性が勝っているケースすらあります。この国際都市間を移動する限りにおいては、風景こそ違っても、とてつもない予期しない事象に遭遇する可能性は非常に低い。
私も、当初日本からシンガポールに転勤になった際は、かなり悩みました。毎日「どうして?」の連続でして、日本と同じものを追求できない不便さに大きなストレスを感じていました。
でも、一度慣れてしまうと、シンガポールで得たものは他の国でも容易に適用可能です。それが国際都市としての大きな魅力となっているのではないかと思います。
そういった意味では「居住国の生活習慣・文化・価値観を尊重した生活を送るべき」との考え方が、過度に強調される都市は、国際都市を好む人間にはとても住みにくい国と映ってしまいます。
また、異なる価値観と共存する世界では、透明性が必要です。制度としての透明性もあれば、人レベルでの判断の予測可能性も大切です。平たく言えば、常識的な判断が通用する、自身の常識とは異なっていても理解可能であるということです。
その観点では、日本のほとんどの都市は改善の余地ありと思います。もちろん、日本社会全体が、鎖国状態を志向するのなら話は別ですが、少なくとも主要都市はより開かれた国際社会への仲間入りを志向していると私は認識しています。
であるならば、「居住国の生活習慣・文化・価値観」と異なるものを持たれた人と同じ都市に同居することを受け入れる社会を作らなくてはならないはずです。迎合するとは違います。受け入れるのです。
だからといって島田紳助事件の被害者の女性を擁護する訳でもありません。もちろんその場に立ち会って一部始終を見ることができていたならば、私なりの意見がもてたのかも知れませんが、そうではないので個別の事件に対する見解は出せそうにもありません。
でも、1つだけふーんと思ったのが、彼女が病院の診断書をもって警察に駆け込むことができたということ。
彼女が興奮状態にあったのか、冷静な判断をしたのかは別にして、彼女が相当と思える行為を行うことができたということは、少なからず評価に値するのではないかと思います。私の評価の対象は、当然当事者ではなく、日本の制度に対するものです。
制度はあるのに、使わせてくれないなんてケースも多々ありますから。警察に駆け込むという行為は、双方の同意なんか不要です。どちらかが必要と感じたならそうすればいい。当たり前の話ですが、実際にはできないことが多いですからね。
話を最初に戻し、kuraさんの質問に対する私の回答としては、
本件はあくまでも個別事件として取り扱われるべきであって、被害者が帰国子女であることや、日本の文化との関連では議論するには無理がある。
となります。
いかがでしょうか。
【関連ブログ】
ブログラヒロシ:国際的な人